[沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年]第1部(19) 上里賢一さん(上) 紹介者・オーガニックゆうきさん

「娘が生まれたばかりなのに研究旅行で沖縄にいないことが多かった」と語る上里賢一さん(右)。隣は帰省中の長女オーガニックゆうきさん=4月27日、那覇市内

 著書「入れ子の水は月に轢(ひ)かれ」で第8回アガサ・クリスティー賞を受賞した沖縄県浦添市出身の作家、オーガニックゆうき(本名・上里叶子)さん(29)は1992年生まれ。沖縄が日本に復帰して20年、安室奈美恵さんが全国デビューした時期だ。その後の沖縄ブームはごく身近な現象でありながら、ただ消費されていくような忌避感もあった。

 「戦後の那覇の水上店舗を舞台に書いた『入れ子~』はいわゆる“沖縄感”を出さないよう意識した。表紙もそう。沖縄っぽさは分かりやすいが、消費されるだけで終わるから」

 単純化した沖縄を描きたくない心情は、揺れ動く自身のアイデンティティーとも無関係ではない。沖縄人である自分とは何なのか。沖縄は歴史的に“被害者”と思っていたが、中学、高校でカナダへ留学した際、太平洋戦争で日本人の加害性を問われ、戸惑った。

 「『沖縄出身です』が通じず、誰も沖縄の歴史を知らない。どう自己紹介していいのか分からなかった。日本人であること、その歴史的責任に無自覚だったと気付かされた」

 京都大に進学後も、沖縄という出自を強く意識した。「大学で辺野古問題の話が出ると『反対派は過激だよね』みたいな。同じ日本人であるはずなのに、どこか人ごとのようだった」

 復帰50年の今、「復帰」という言葉がしっくりこない。「元々あった状態に回帰する印象を受けるが、そもそも何が元の状態(沖縄)なのか」。統治形態の移行とは別の意味で、沖縄は元の場所に回帰できたのか。「父は復帰した時、喪失感があったと言っていた。それがなぜなのか、多くを語ってくれなかった」

 父は学生時代、復帰運動に熱心だった琉球大名誉教授の上里賢一さん(77)。復帰を願い、運動にひた走った青年がどうして喪失感を抱いたのか、オーガニックさんは聞いてみたいという。上里さんを訪ねた。

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 作家オーガニックゆうきさんの父、上里賢一さんを語り手として取り上げます。

(社会部・城間陽介)

<上里賢一さんが語る生活史>

(1)「日本への憧れは一種のユートピア幻想を抱かせた」 見えた与論島の明かり、本土との連帯感に胸熱く

(2)「上里君、急ぐな」大田昌秀氏と接し考えに変化 どう主体性を残して日本の中で生きるべきか

(3)台湾で学んだアジアの視点 残る米軍基地 本土との同化 若い世代へ罪悪感「負の遺産を突破して」