海上基地建設の是非を問う名護市民投票が行われた1997年12月は、まだ生後半年の赤ん坊だった。反対のビラを配る母親に抱っこされていた渡具知武龍さんが19歳になり、参院選で初の1票を投じた(11日付本紙)
▼生まれ育った名護市瀬嵩は大浦湾を望む自然豊かな所だ。この一帯に新基地計画が浮上して20年。造られれば、最大の騒音被害地域になる
▼「子どもには基地ではなく自然を残したい」と反対運動に立ち上がった両親の傍らには、いつも武龍少年がいた。おかっぱ頭に人なつっこい笑顔が時に殺伐となる現場を和ませ、折れそうになる大人たちの心を癒やした
▼この頃、両親は「武龍に物心ついた時、まだ基地で振り回されていたらと思うと気が重い」が口癖だった。物心どころか、初の投票でも新基地建設が最大の争点だった
▼それでも武龍さんは「変えようとして20年も諦めなかった両親はすごい。今後は親と一緒に、同じ有権者として基地に向き合う」と決意を固める
▼ただ、渡具知家の運動は“期限付き”のはずだった。「市民投票まで」「『最低でも県外』の政権ができるまで」「反対の市長、県知事が誕生するまで」…。選挙で何度も示した民意を、この国はいとも簡単に踏みにじる。民主主義の根幹が否定されているのに自らの問題として考えず、許す国民がいる。(磯野直)