[屋良建議 50年後の姿](1)基本的人権の確立

「復帰運動を頑張った人たちは失望しているのでは」と話し空を見つめる与那城千恵美さん=9日、宜野湾市内の自宅

 県民は県民の人権を侵害し、生活を破壊する基地に対して撤去を要求し続け、本土へ復帰することによって、あらゆる被害は解消されると期待した。

 沖縄の日本復帰が翌年に迫った1971年、琉球政府の屋良朝苗主席が日本政府へ提出した「復帰措置に関する建議書」(屋良建議書)にある一文だ。県民が復帰で願ったことの一つに日本国憲法の下での「基本的人権の確立」がある。

 米軍統治下では宮森小学校にジェット戦闘機が墜落し、18人が犠牲となった。パラシュートからトレーラーが落下して少女が圧死。嘉手納基地の航空機燃料が地下水脈に流れ込み汚染された井戸水は火がついた。

 米兵による事件・事故が相次いでも、補償や処罰に大きな壁があった。

 日本国憲法では保障されているはずの基本的人権が脅かされていた。

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 復帰から50年。沖縄は県民が欲した姿に近づいたのか。

■絶えない米兵の事件事故

 米軍人、軍属等による刑法犯件数は復帰後、6109件(2021年末現在)で、そのうち殺人や強盗、強制性交等などの凶悪犯は584件に上る。航空機関連事故は863件(22年1月末現在)。

 1995年の米兵による暴行事件、2004年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落、16年の米軍属による暴行殺人事件-。事故現場を米軍が規制したり、被害者への慰謝料が円滑に支払われなかったり、依然、対応には日米地位協定上の課題がつきまとう。

 軍属補足協定や環境補足協定など、政府は「運用改善」で対応してきた。だが、米側の裁量が大きく、県が求めてきた抜本的な改正は一度もされていない。

 日米両政府は住民の負担軽減に向け航空機騒音規制措置(騒音防止協定)を締結した。深夜・早朝(午後10時~翌午前6時)の飛行を「最小限に制限される」としているが、米軍が「運用上必要」とすれば、飛行できるのが実態だ。

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 17年12月7日、米軍普天間飛行場に近接する宜野湾市野嵩の緑ケ丘保育園に米軍ヘリの部品が落下した。1週間後には、米軍ヘリから普天間第二小学校(市新城)に重さ7・7キロの窓枠が落ちてきた。

■「県外ではあり得ない」

 当時、子どもが園に通っていた与那城千恵美さん(49)=市喜友名=は、母親たちと一緒に政府への要請を3度重ねた。「物が落ちてくる学校に通うなんて県外ではあり得ない。せめて園の上だけは飛ばないで」

 だが、今も学校や園上空を飛び続けている。米軍は園への部品落下を認めず「自作自演」との誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)も受けた。日米地位協定の特例で航空法89条(物件の投下)の適用が除外されており、県警も捜査できず、原因究明できなかった。「子どもの命の問題なのに、なぜ誰も守れないの」と歯がゆさが募る。

■復帰運動は希望から失望に

 米軍が普天間飛行場から有機フッ素化合物PFAS(ピーファス)を放出していたことも発覚した。「生まれ育った地域は昔から川から簡易水道を引いて農作物を育ててきた。すごいショックだった。空だけでなく水も、土地も安全ではないの」

 復帰翌年の2月に生まれた「復帰世代」。「私たちの親は、私たちが生まれた時、復帰に希望を持ったと思うんです」と思いをはせる。

 「私たちが親になり、基地に翻弄(ほんろう)され、子どもたちが命の危険にさらされながら生活をしないといけないという状況は何も変わっていない。復帰運動を頑張った人たちは失望してはいないでしょうか」(政経部・大城大輔、新垣亮)

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 沖縄が日本に復帰する前年の1971年、琉球政府が県民の要求や考え方などを集約して「新生沖縄像」を描いた屋良建議書。柱に据えたのは「地方自治権の確立」「反戦平和の理念を貫く」「基本的人権の確立」「県民本位の経済開発」の4本だった。15日に復帰50年を迎える今の沖縄の姿は、建議した沖縄像に近づいたのか。四つの視点から関係者と共に見つめ直す。