沖縄が1972年の日本復帰から50年の節目を迎えた15日、沖縄県内では復帰を記念する式典、今なお続く過重な基地負担の解消を訴える県民大会などが開かれ、多くの県民が参加した。式典会場前で基地被害に抗議する市民グループや、ちょうど50年前に抗議集会のあった与儀公園を再び訪れる人の姿も。それぞれが「復帰」に思いを巡らせた。

式典のあいさつに拍手を送る参加者=15日、宜野湾市・沖縄コンベンションセンター(小宮健撮影)

 日本復帰50年の記念式典会場になった宜野湾市の沖縄コンベンションセンターには、30台超のテレビカメラが2階席まで設置され、今では夏の正装として県内外で定着したかりゆしウエアを着た県や政府関係者、招待された県出身者らが会場を埋め尽くした。求める沖縄像とかけ離れた復帰に抗議して空席が目立った50年前の式典とは明らかに違う雰囲気だったが、壇上を見つめた人たちの胸には今も変わらず、「沖縄と本土」「基地問題」「これからの未来」について、いくつもの思いが入り交じっていた。

 沖縄ハンセン病回復者の会共同代表の平良仁雄さん(83)は「復帰50周年で何が変わったか疑問」と話す。「みんなきれい事を並べて語っている印象。全体的に表面的な話ばかりだった」と声を落とした。

 式辞では、岸田文雄首相と玉城デニー知事ともに辺野古の新基地問題に言及することはなかった。「知事は言うべきことは言ってほしかった。県民に対して本音で話してほしい。それができない場所だったんだろう」

 招待客の男性(49)は、誰のあいさつにも腕を組んだまま。「行政が淡々と行事をしただけ。あしたからも今までと変わらない沖縄が続くんだろうな、と思った」と落胆をあらわにする。君が代の独唱では司会が参加者に起立を促したが、「あれは琉球民族の歌ではないから」と座ったままでいた。

 一方、式典に続くレセプションでは琉球の伝統芸能が披露され、演者が入れ替わるたびに温かな拍手に沸いた。

 舞台で披露されたのは、泡盛をつぎ足し熟成させる「仕次ぎ」、琉球舞踊と民舞、沖縄発祥の空手の演武、「芭蕉布(ばしょうふ)」などの合唱。

 合唱は50年前の新沖縄県発足式典で那覇高校の混声合唱団が「沖縄県民の歌」を披露したことから、同校合唱部が歌った。当時那覇高校3年生だった県飲食業生活衛生同業組合理事長の鈴木洋一さん(67)は「激動の時代だったなと昔を思い出し、目頭が熱くなった」と感慨深げに語った。(社会部・普久原茜、島袋晋作、棚橋咲月)