[沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年]第2部(1) 語り手・田中美江さん(92)(上) 聞き手・山本和さん(26)

  きょうから始まる連載「沖縄の生活史第2部」の1回目は、兵庫県出身の山本和(のどか)さん(26)が、2年前から一緒に暮らす座間味村の田中美江さん(92)から話を聞いた。7年前、沖縄戦の聞き取りで出会った2人。ひ孫ほど年齢の離れた山本さんが、田中さんの戦争体験や復帰後の生活、結婚、出産、民宿経営などに耳を傾けた。

 ◇      ◇

 -おばーの人生史教えてほしい。

 人生史? なんね? 私たちの人生なんて、戦争しかないんじゃないの?

 昭和5年に阿佐(座間味島)で生まれた。して、朝起きて、朝5時に起きて、太鼓たたいて、皆の道を掃除して、各部落で、こんなんやりよったよ。「鳥も鳴いた、夜が明けた、早く起きないと、遅くなる」って。今の子どもたちはできないはずよ、学校行く前に。7時半に学校行って、黒板に阿佐の何班は、何時何分に学校着きましたって、出席を。7時半までに学校へ行ってた。して、学校から帰ってきたら、外で立って宿題しよったよ。畑仕事があったから、帰ってきて宿題して、畑仕事手伝いに行っていたわけさ。豚に芋を運んでよ。

■豚つぶし塩漬け

 -豚もいたんや。

 いるさ、これが仕事だのに。みんなこんなもん売って生活しているのに。牛もいたね、うちは。皆はいないよ。牛小屋も、2階建ての瓦葺の屋根だったよ。正月には豚1頭ずつ殺しよったさ。冷蔵庫ない時はこれを塩漬けして、1年近くあったんじゃない。

 戦前は、みんな、カツオ業をしに、南洋に行ってる。だから座間味は貧乏人がいなかったはずよ。全部瓦葺の屋根の家だったはずよ。うちのおじいさんなんかはどんなんしてもうけたさ。家も座間味イチの家を作って。

 -おじいさんは何の仕事?

 スイカを作って、サバニで那覇まで売りにいっていたとは聞いているよ。

 -それでそんなにもうけられたん?

 おじいさんは辻から...