[沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年]第2部(2) 語り手 田中美江さん(92)(下) 聞き手 山本和さん(26) ※前編からの続き

 -じゃあおばーは、阿真で捕虜になった後、阿佐に帰れたの?

 帰れた。座間味の人もだいぶ阿佐に来ていたよ。座間味は一晩で家が全部なくなっているから。何名は、阿佐に行くって決めたはずよね。誰が決めたか。うちの家にも何所帯かいたね。何年も続かないはずよ。それから座間味の人は座間味に帰って、皆仕事してもうけたんじゃない。南洋なんか行った人たちも戻ってきてるわけさ、皆ね。その時からみんな楽しんでいるよ。青年団は踊りもするし、部落(集落)で演芸会もするし。学校も運動会もするし。

 -でもおばーの知っている人いっぱい亡くなっているわけでしょ、友達とか。

 皆亡くなっているよ、うちの同級生も。青年団で遺骨集めもしたからね。二本松から遺骨担いで歩いたよ。兵隊いっぱい亡くなっていたさ。特攻隊はあそこで自決したはずよ。

■米袋に遺骨集め

 -何に入れて担いだの?

 米袋よ、米袋を担いでよ。

 -私だったら怖いって思ってまいそう……。

 戦争の世の中だから、かわいそうと思っても、怖いとは思わなかったんじゃない。きれいには筋は切れていなかったはずよ、つないでいたはずよ。

 -皆、戦後、戦争の話はしなかったの?

 ううん。もう誰か分かるさ、誰が亡くなっているかって。皆働いて、食べるのに精いっぱいだったからね。古座間味の今のビーチはアメリカーのチリ捨て場だったから、何でもあったよ。

 アメリカーが取ってもいいよってことになってたって。なんでもあったよ、なんでもあった。今のスーパーと勝負しないんじゃない。布団から毛布から。食器類からいろいろあったはずよ。

 -アメリカの統治下になって暮らしの変化は何かあった?...