山口県の「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」の松下孝幸館長を中心とした調査チームは20日、沖縄県南城市玉城富里の納骨堂にあった石厨子(ずし)から、西ヨーロッパ・中央アジア、朝鮮半島の母系の系譜を持つ人骨が発見されたと発表した。15~16世紀の壮年男性のものと推定している。南城市役所で会見した松下館長は「沖縄ではグスク時代から異国の人を拒否せず、多様性を認めていたことが分かる。『万国津梁の邦』の実態の一部が明らかになった」と強調した。(南部報道部・我喜屋あかね)

石厨子の中から見つかった3体の人骨。中央の頭部の骨から中央アジア・西ヨーロッパ由来、右の頭部から朝鮮半島由来のミトコンドリアDNAが検出された(提供)

神座原古墓群と納骨堂の位置

3体の人骨上肢の写真を示して説明する土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの松下孝幸館長=20日、南城市役所

石厨子の中から見つかった3体の人骨。中央の頭部の骨から中央アジア・西ヨーロッパ由来、右の頭部から朝鮮半島由来のミトコンドリアDNAが検出された(提供) 神座原古墓群と納骨堂の位置 3体の人骨上肢の写真を示して説明する土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの松下孝幸館長=20日、南城市役所

■一つの石厨子に

 納骨堂は2基あり、開発で取り壊された神座原古墓群(市玉城富里)にあった計78体の人骨が納められている。納骨堂内の石厨子にあった人骨3体のミトコンドリアDNA分析を行ったところ、それぞれから沖縄を含む日本、西ヨーロッパ・中央アジア、朝鮮半島に由来するミトコンドリアDNAが検出された。

 赤外線カメラで撮影した結果、石厨子は1706年に制作されたと推定される。3体は15~16世紀ごろに生存しており、没後100年近くたっても出自や経歴が伝えられ、石厨子に納められたと考えられる。松下館長は「一つの石厨子に入っていたということは同族として認められ、広い意味で血縁関係があったと判断している」と説明した。

 3体とも頭部の形は異なるが上肢や下肢の骨はほとんど変わらず、同じ生活様式を過ごしたと推測される。西ヨーロッパ・中央アジア由来のミトコンドリアDNAを検出した人骨の男性は大腿(だいたい)骨から身長148センチほどしかなく、かなり低いという。

 松下館長は「西ヨーロッパの人が中国など移動先で子孫を残し、何世代か過ごした後、琉球に渡って家族をつくったことも考えられる。当時の社会情勢も含めて総合的に考えないと答えは出ない」と説明。

 「異国から人が来たことは間違いない。ともに共同体をつくり、地域コミュニティーをつくっていたということは、この時代から多様性を認めていたということ。沖縄の人にも誇りに思ってほしい」と話した。

■活発な往来示す成果   

 県立博物館・美術館博物館班主任学芸員の山崎真治さんの話 15~16世紀の琉球王朝時代に海外交易が盛んだったことは、文献や出土した陶磁器などから分かっていたが、今回の研究結果は当時の人そのものである人骨からもその史実が補強されたことになり重要な成果と言える。

 アジアだけでなくヨーロッパ系のDNAが検出されたことは驚きだ。亡くなって2世紀以上たってから再葬されたということなので、お墓を整理する際にまとめられた可能性もあり、必ずしもこの3体が近しい関係性であったから一緒に葬られたとは言えないが、この地域に移り住み、地元の人々と共生していた可能性がある。

 ミトコンドリアDNA分析では母系の系譜をたどることができるので、これらの人骨は渡来者第1世代か、あるいは混血した子孫の可能性がある。後者だとすれば、この時代に男性だけでなく女性を含めた人流があったということになり、興味深いデータである。今後の詳しい検討を期待したい。