【中城】中城村津覇の久志(旧姓新垣)隆子さん(67)がこのほど、自身の出身地、津覇集落の戦争体験者への聞き取りを中心にした論文をまとめた。これまで中城村遺族連合会の「戦後60年記念誌・戦争体験談」、村教育委員会の「中城村の沖縄戦証言編」が発刊されているが、津覇集落1カ所に焦点を絞った戦争体験集はないという。5章の7節構成のA4判98ページで、約100部を村教委や関係者に配布している。

中城村津覇の戦争体験者への聞き取りをまとめた久志隆子さん=中城村津覇

 久志さんは34年間の中学の国語教師を終えたあと、より学びを深めたいと琉球大学大学院人文社会科研究科に入学。琉球王国の士族「程順則(名護親方)」や政治家「蔡温」の研究をしていた。その時、久志さんの話す自然なウチナーグチに感心した指導教官から「今のうちにウチナーグチで戦争体験者へ聞き取りをして、次世代に残したらどうか」との助言を受けた。

 久志さんは20代の学生の頃、父新垣隆永さん(昨年93歳で逝去)、母トヨさん(92)に戦争の話を聞きたいと雑談の中で話したこともあったが、両親は「いいぶんくんねーらん(話したくない)、うびいじゃしいねーくちさん(思い出して苦しい)」と拒まれた。

 両親が重い口を開いたのは5年前のこと。津覇集落20人とほかの集落2人の戦争体験者を紹介してもらい、それから論文にまとめる過程に入った。

 話を聞いた住民それぞれの避難経路、学童疎開、大戦前の集落の家並みと屋号をはじめ、戦中の竹やり訓練、陣地壕掘りや壕での生活、戦後の生活の様子や互いに助け合った日常などを細かく記録した。

 当時、日本軍に炊事要員として徴用された玉那覇春さん(101)のエピソードもつづった。プロ野球阪神タイガースで監督を務め、沖縄戦で米軍の捕虜になった経験もある故松木謙治郎氏が戦後、玉那覇さん宅を訪れた際の話も盛り込んだ。

 「生前の父は『前に向かい、これからの沖縄の明るい未来を構築すること』が口癖だった」と久志さん。「母は『平和こそ最高の幸せであることをかみしめてほしい』と強調している」と言う。

 県公文書館や中城村教育委員会などのアドバイスを受けながら、両親の言葉を胸に論文をまとめた久志さん。「一人一人の証言に心が痛む。戦争という愚かな行為と父母らが体験したこと戦争の悲惨さを胸に刻み平和の大切さを伝えていきたい」と話した。(翁長良勝通信員)

(写図説明)中城村津覇の戦争体験者への聞き取りをまとめた久志隆子さん=中城村津覇