[沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年]第2部(9)語り手・吉本良子さん(97)聞き手・荒井聡さん(38)

 -良子さんって、生まれたのって、南洋のどちらでしたっけ?

 テニアン島。

 -お父さんはどちらの人だったっけ?

 糸満の人。今(で言うと)ひめゆり塔の近くに。あっちは何て言うかね。もうあっちには何もない。

 -じゃあ、次男か三男かだったの? お父さんは。

 お父さんは、男1人、女の、2人きょうだい。

 -ああ、じゃあ、長男。お母さんも沖縄で生まれて?

 お父さんと同じ。糸満の人。

 -ああ。結婚は糸満でして。

 そう。

■父がテニアンへ

 -じゃあ、夫婦でテニアン行って。

 いや。初めはお父さんが行って。後から呼んだの。きれいに、テニアン島でもう自分のあれ(家)造ったから、親も呼んだわけ。みんな。

 -きょうだいは結構いたの?

 きょうだいは8人いた。男4人、女4人。私は、一番上。4人は亡くなって、4人は元気。長男は、お父さんと、戦争で亡くなった。(その後)次男、次女、三男が亡くなって。

 -(息子)お父さんは、亡くなったんだはずよ、あっちで。お母さんしかいなかったから、那覇に。寄宮に。県の住宅、こういうところに住んでるわけさね。一戸建ての。土地は県のだけど。だよな?

 そう。南洋から帰ってきたら。だー、収容所はあれだ、石川と伊芸との間、何か……。

 -(息子)屋嘉だろう。屋嘉の収容所という記念碑があるさ。

 こっちからよ、安部から連れに来ていた。

 -(息子)旦那さん側(のおじさん)よ。

 おばあちゃんのきょうだい。沖縄でもこっちは、与那原の人が田んぼなんかみんな開拓してからに、みんなに売ったんだ。嘉陽も。こんなして、みんな開拓してからに、田んぼ作ってからに、みんなに売るわけ。あちこちから来てるんだよ。(昔から)こっちに住んでる人は(そんなに)いないよ。初めはもう、与那原の人が山原船持ってきて、みんな開拓してからに、みんなあちこちから集まってきてるわけ。

 -そうだったんですね。吉本家はもともと、それこそ与那原?

■長男を守るため

 -(息子)ムートゥヤーは糸満。喜屋武にあったというから。...