【ワラビー沖縄戦を学ぼう特別版】

 20万人を超える住民や兵士が死亡した悲惨な沖縄戦が終わり、ことしで77年がたちます。しかし、世界に目を向けると今この時にも、戦争による被害に苦しんでいる人がいます。ロシアが2月24日以来、ウクライナへの軍事侵攻を続けています。市民が暮らす町が爆撃され、子どもを含む死者や避難者が増え続けています。

 沖縄に住むウクライナ出身者らに、母国への寄付や避難者の受け入れなど、助け合いの動きが広がっています。また、侵攻を伝えるニュースに、沖縄戦を体験した人の中には「人ごとじゃない」と、支援に乗り出す人もいます。

 今回の侵攻について、ウクライナ出身者と沖縄戦体験者のそれぞれに話を聞くことで、77年前と現在という「時間」、沖縄とウクライナという「空間」を超え、戦争の愚かさや平和への思いを共有します。(文・写真=又吉嘉例)

ウクライナ侵攻 同じ苦しみ

支援しなければ悔い残る

「ウクライナに愛」の看板が目印の「島まるみぬ瓦家」前に立つ喜友名昇さん(右)とヨシ子さん=5月10日、読谷村座喜味

■戦争体験者の喜友名昇さん(82)・ヨシ子さん(78)夫妻

 沖縄戦とまるで同じじゃないか-。ロシアのウクライナ侵攻を伝える毎日のニュースから、戦争のつらい記憶をよみがえらせている沖縄戦体験者がいます。読谷村座喜味に住む喜友名昇さん(82)はロシアが侵攻を始めて間もない3月、ウクライナを支援しようと、妻のヨシ子さん(78)と募金活動を始めました。昇さんは「戦争を体験した自分が何もしなければ悔いが残る」と言葉を強めます。2人は「若い人に戦争の恐怖や平和の尊さを知ってほしい」と望んでいます。

耳元横切る弾丸

 昇さんの生活に戦争が侵入してきたのは1944年の「10・10空襲」の日。当時は4歳でした。座喜味の自宅近くでガジュマルの木に登り、空を飛び交う米軍の戦闘機を物珍しく見ていると、機関銃から弾丸が放たれました。

 「シューシュー」。耳元で聞こえる空気を切り裂く音。血相を変えて飛んで来た曽祖母に手をつかまれ、壕に投げ込まれました。「これは戦争なんだ。何を考えてるか」。そう怒鳴られたそうです。

 この空襲の時、近くの別の壕に爆弾が落ち、民間人12人が亡くなりました。幼かったため、板の上に並べられた死体を見ても恐怖感はなかったそうです。「爆弾はどこへ落ちるか分からない。私は命拾いしたと思う」と振り返りました。

 45年4月の米軍上陸後は攻撃を逃れながら、座喜味周辺の壕を転々としました。目が見えなかった叔父は壕の中で日本兵に殺されたと聞いています。生まれたばかりの妹は栄養失調のため、捕虜収容所で命を落としました。手や足を失ってうめく日本の負傷兵や、荷台に大量の頭がい骨が載せられたトラックも見ました。「何にも驚かないし、心がまひしていた。戦争の恐ろしいところだよ」

「身近なところであった悲劇について、若者に関心を持ってほしい」などと話し合う喜友名昇さん(右)とヨシ子さん

 ロシアの軍事侵攻以降、昇さんとヨシ子さんはテレビが映す悲惨な光景に胸を痛めています。ロシアによる攻撃で生活の場が破壊されたウクライナ住民は、地下鉄駅や建物の地下をシェルター所)として、不安と緊張の中で避難生活を送っています。

 昇さんは「シェルターは沖縄戦でいえば壕なんだ。形は違っても苦しみはまったく一緒だ」と表情を曇らせます。「ウクライナの子どもも、妹のように栄養失調にならないか心配だ」

 溝を掘って遺体を折り重ねるように埋葬する様子も、沖縄戦当時を思い出させるそうです。「村中から来た遺体を収容所近くに埋めていた。4段に重ねてね」

 一方、昇さんは「でもウクライナは、沖縄戦よりはましかもしれない」とぽつりと言いました。「病院や学校など、ある程度守られる場所が確保されている。住民が避難するためにバスも来る。沖縄戦はめちゃくちゃ。山の中を逃げるしかなかったから」と声を落としました。

身近に悲劇あった

 2人は座喜味公民館近く、明治時代に建てられた古民家「島まるみぬ瓦屋」の前で募金活動をしています。「ウクライナに愛」。ヨシ子さんが書いた大きな看板が目印です。沖縄戦当時は赤ちゃんで記憶がないというヨシ子さんですが、「愛や真心があれば、行動を起こさないといけないですよね」とほほ笑みます。

 5月10日までに30万円以上が集まり、日本赤十字社を通して支援金を送ったそうです。昇さんは募金活動を通し、「外国で戦争をしているが、身近な沖縄でも戦争の悲劇があったということも若い人に伝えたい」と意気込んでいます。

 「瓦屋」前の看板には「ぐすうゆー(みなさん) いくさーせえないびらんろう(戦争してはいけないよ)」というしまくとぅばも掲げています。沖縄戦体験者から世界の「ぐすうゆー」に向けられています。

母国の被害「魂が泣き叫ぶ」

避難民の救済に力を注ぐ

「世界の人が結びついてウクライナ侵攻を止めましょう」と呼びかけるアラ・コバルチュークさん(右)と娘のマリヤちゃん、夫の比嘉啓勝さん=5月17日、中城村内

■ウクライナ出身アラ・コバルチュークさん

 優しい人々、美しい国-。ロシアに軍事侵攻されているウクライナの出身で、沖縄市に住むアラ・コバルチュークさん(48)は、故郷をそんなふうに紹介しました。両親はウクライナ中部で避難生活を送り、兵士の弟は戦争の最前線に立っています。アラさんは遠く離れた沖縄で、母国の戦争被害に嘆き、避難する人の支援に力を注いでいます。沖縄戦体験者ら県民の支援に感謝しているといいます。

 「森が多く、とてもきれいな国。小麦や野菜、フルーツもいっぱい取れる」とアラさん。豊かな農業国のウクライナの南部、ヘルソン州で育ちました。幼い頃は祖父母の家の庭に植えられたサクランボやナシ、リンゴなどの果実をもいで食べるのが楽しみでした。ウクライナでのホームレス支援活動を通して沖縄市出身の比嘉啓勝さん(47)と出会い、結婚をきっかけに2017年、沖縄にやって来ました。

「まさか戦争が…」

 しかしことし2月24日、予想外のことが起こりました。母国がロシアに攻め込まれ、戦争が始まったのです。アラさんは「本当に信じられない」と首を振ります。

 「ロシアは包囲して脅しをかけながら交渉するだけだと思っていた。まさか21世紀のヨーロッパで戦争が起こるなんて」

「沖縄により親近感を持つようになった」と話すアラ・コバルチュークさん

 両親は-。弟は-。つねに安否を心配して眠れず、食事ものどを通らない日々が続きました。ニュースは毎日のように家や学校、病院など生活の場の破壊や、子どもを含めた住民の死亡を伝えています。

 「悲しくてつらい。魂が泣き叫ぶようです」

 目に涙を浮かべながら、画面を見つめます。

 4月半ば、両親や弟の家族が車でヘルソンから国外へ脱出できました。その後もSNSを通して連絡を取っています。ヘルソンにいる知人によると脱出後の実家はロシア兵に荒らされました。窓が壊され、テレビやオーディオ、キッチン道具などが盗まれていたそうです。

 一方、兵士の弟とはなかなか連絡が取れません。穏やかで責任感が強い人だそうです。「早くウクライナが勝利した上で、戦争が終わることを望んでいるはずだ」と力を込めます。

何かできること

 アラさんと夫の啓勝さんは4月に「沖縄ウクライナ難民救済協会」という団体をつくりました。ウクライナから逃れた避難者をお金や生活物資の面で支援しています。これまでに県内から集まった寄付で6人家族をドイツへ避難させたほか、沖縄で避難者2人を受け入れる準備を進めています。

 「何も持たずに命からがら逃げてくるのでさまざまな物資が必要だし、心のケアも必要になります。私は同じウクライナ人だから話しやすいし、何かできることがあるはずです」と、使命感がわいています。

 妻の様子を見守ってきた啓勝さんは「逆の立場で考えたら、とてもつらいことだ」。もしも那覇の国際通りが爆破されたら…、ふるさとの人々が殺されたら…。「母国がああなって、ものすごいストレスだろう」と心配します。

 沖縄県民からの支援についてアラさんは「沖縄戦の経験があるせいか、すごく親切にしてくれる。戦争という試練を乗り越えてきたので、理解してくれる人が多いのかもしれない。沖縄により親近感を持つようになりました」と感謝する。

 「戦争は恐ろしいが、その一方で人々の助け合いは広がり、ウクライナは一つの『家族』になった。世界のみなさんで結びつき、協力して、戦争を止めましょう」と呼びかけました。

「ワラビー沖縄戦を学ぼう特別版」を発行

 

 沖縄タイムス社は30日、「タイムスワラビー 沖縄戦を学ぼう特別版」(タブロイド判、全16ページ)を発行しました。

 ロシアによるウクライナ侵攻と77年前の沖縄戦から平和を考える特集記事や、日本復帰50年の節目に激動の沖縄戦後史を振り返った特集記事を掲載しています。

 30日付の本紙に折り込むとともに、県内全ての小学校(4年生以上)、中・高校、特別支援学校の児童・生徒に無料で配布します。30日以降、販売店を通して学校に順次お届けします。ご家庭、学校での平和学習にぜひご活用ください。

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