〈猿を聞人(きくひと)捨子(すてご)に秋の風いかに〉。江戸期の俳人・松尾芭蕉が、富士川のほとりで3歳ぐらいの捨て子が泣いている様子を見て詠んだ句である
▼わが子を川の早瀬に投げ入れるのは辛(つら)い。せめて誰かに拾われて生きてほしい。芭蕉は「野ざらし紀行」で親の心情をこう推察した。句の「猿」には、子を失った母猿が悲しみで腸がちぎれていた故事「断腸の思い」を重ねている
▼その親たちは、どんな思いでわが子を手放したのだろう。赤ちゃんを匿名で預け入れる慈恵病院(熊本市)の「赤ちゃんポスト」が10日で設置から10年になった。2015年度までの9年間に125人の命が託され、病院の理事長は会見で「赤ちゃんの命を守るという点で役目を果たせた」と振り返った
▼親の身勝手さを責め、「ポスト」が捨て子を助長しているとの指摘は絶えない。だが虐待を逃れ、救われた「小さな命」だとすれば考え込んでしまう
▼江戸中期の古川柳にある。〈命かぎりの頬(ほお)ずりをする〉。事情があって泣く泣くわが子と別れる母親の心情を詠んだものだという
▼熊本市の調査(13年度末)では、元の家庭に戻った子は18人で、多くの親子が「再会」できていない。あの日、わが子を手放したお母さんもきっと、最後に抱きしめた温もりを時に思い出し、眠れぬ夜もあるのだろう。(稲嶺幸弘)