[基地と麻薬 復帰前後の沖縄]
【ジョン・ミッチェル特約通信員】米軍がベトナム戦争を繰り広げていた1970年前後に、沖縄が東南アジアと米本国を結ぶ麻薬密輸ルートの中継拠点だったことが6日までに分かった。本紙が入手した米議会の調査報告書などから明らかになった。沖縄は日本復帰前後の時期に当たる。軍人だけでなく少数の沖縄住民も関与しており、米下院は現地調査を踏まえ、当時の麻薬密輸の構図を「沖縄システム」と名付け、報告書にも記述していた。
■タイから米国へ
復帰前の米統治下で、航空機の墜落や神経ガスの漏出など事件事故の実態は明らかになっているが、麻薬汚染の実態は知られていなかった。
報告書によると沖縄では大麻、ヘロイン、LSDなどが扱われた。密輸の拠点になっただけではなく、米海兵隊の訓練場近くで栽培されたり、LSDが製造されたりもしていた。
米下院外交委員会は71年5月、「世界のヘロイン問題」と題した報告書を作成。沖縄では米国の現役・退役軍人が「少数の沖縄人と結託」し、タイから沖縄経由で米国にヘロインを密輸した経緯から説明している。
■「国民の敵」と非難
委員たちは、この活動を「現代で最も卑劣な犯罪」と呼び、密輸に関与した米国人を「アメリカ国民の敵」と非難した。
密輸を取り締まる試みは「沖縄の空港での不十分な税関検査によって妨げられた」と述べている。
沖縄は当時、米国によって統治されており、島はベトナム戦争のための軍の主要な出撃基地だった。
南ベトナムでのヘロイン密輸について、米外交委員会の報告書は、米中央情報局(CIA)が運営する航空会社エア・アメリカが運航する航空機で運ばれたと述べている。ただ、沖縄にも運んだかどうかは言及していない。
当時、エア・アメリカは沖縄本島と近隣の島々で、貨物と旅客のネットワークを運営していた。