[基地と麻薬 復帰前後の沖縄](1)

米議会が暴いた麻薬密輸の「沖縄システム」とは? 軍人や住民も関与 1970年前後、中継拠点だった>から続き

 「軍隊における薬物乱用疑惑」-。1970年と71年に開催された米下院軍事委員会の公聴会から書き起こされた報告書は、沖縄でまん延する麻薬の実態を記し、注目を集めた。

 国防総省特別対策本部長が、沖縄での薬物乱用を「非常に広範」だと証言したのだ。

 この問題は68年後半に初めて表面化した。主に大麻に関わるもので、二つの調達先があった。

 タイから沖縄へ密輸されるルートに加え、もう一つは「本島北部の米海兵隊訓練場」の近くで栽培されていた。

 特別対策本部のメンバーが訪問する3日前、高度に精製された100キロ以上の大麻が入った箱が航空機から降ろされ、同じ時期にさらに90キロの薬物が軍の郵便局で発見された。

 公聴会によると、70年半ば以降、LSDとヘロインも行き渡っていた。 

 それらの麻薬の多くが脱走兵らによって密輸された。税関検査の欠如のために輸入は簡単だった。

 陸軍は麻薬探知犬チームを一つしか持たず、嘉手納、普天間、那覇の全ての空港、郵便局、国防総省管轄の学校を検査するには不十分だった。

 報告書は主に軍の活動に焦点を当てているが、麻薬取引における一部の沖縄の人たちの役割についても次のように述べている。

 「よく組織された琉球人密輸団」がヘロイン、LSD、大麻を島に持ち込み、LSDはそこで製造もされたと指摘している。

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 沖縄は45年から72年まで米国に統治され、朝鮮、ベトナム、ラオス、カンボジアにおける戦争で部隊の主要な集結地点として機能した。米太平洋軍のトップ、シャープ提督は65年に「沖縄がなければ、ベトナム戦争を戦い続けられなかった」と語った。

 沖縄の環境は実弾砲撃演習、オイルや燃料の流出によって破壊された。軍人は、69年の神経ガスの漏出を含む有毒物質にさらされ病気に。住民は航空機の墜落やひき逃げ、殺人で命を奪われた。沖縄の裁判所は加害者の軍人を裁けず、多くは処罰を免れた-。こうした構図は明らかになっている。

 しかし、今までほとんど認識されていなかったのは、世界の麻薬取引における島の役割、すなわち「沖縄システム」だ。連載で報告する。(構成=ジョン・ミッチエル特約通信員)

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