沖縄の日本復帰後、宮古島の人流と物流は大きく様変わりした。中世から島の玄関口だった平良港は、宮古圏域の生活を支える物流の拠点として発展したが現在、クルーズ船以外の客船は多良間港とを結ぶだけとなった。一方で海軍の飛行場として建設された宮古空港は、滑走路の拡張やターミナルの建設を重ね、今や年間乗降客数170万人超にも応えられる県管理第2の空港へと成長。島民の足は、海から空へと移っていった。(宮古支局・當山学)

 平良港は日本復帰の1972年、重要湾港に指定された。当時は桟橋が1本だけだった。トラックではなく馬車が行き交い、魚が入ったたらいを頭に乗せて売り歩く佐良浜の女性たちの姿があった。高校を卒業した若者たちが集団就職や進学のため「宮古丸」や「八汐(やしお)丸」で約14時間かけ...