[沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年]第2部(27) 語り手・父の従姉(60代) 聞き手・城間優子さん(46)

 私は小学校からスポーツしていたわけ。沖縄新記録とか作ったのよ。水泳で新聞にも載ったりして。国体の候補に選ばれて、高校2年の時、(1973年の)若夏国体っていうのがあって、そっちに向けて小学校からずっと強化選手だったわけ。それで自分たちはコザ(現在の沖縄市)から那覇の奥武山までずっとバスで通って、夜の7時、8時くらいまで泳いで、そこから那覇のバスターミナルに行って、そこから帰ってクッタクタだわけ、体も。それからおうち帰ってご飯食べて。

■内地での体験

 復帰前よ。自分たちはそれで予算が下りてさ、内地の九州とかに合宿、自分たちもパスポート持ってね。福岡にあるの、コースが。そっちのプールで泳いだりとか、そこで初めて(熊本県の)阿蘇山に連れて行ってもらって、雪、初雪。中学生だよね。そういう他の子とはちょっと違う経験。船に乗って鹿児島まで行ったり、それから九州からかな、寝台車に乗せてもらって、東京まで、わざわざ先生が体験させるっていって、取ってくれたわけ。自分のお金ではできない体験をすごくいっぱいしたって感じなんだけどさ。

 -いくつから?

 小学校の5年生くらいからか。その当時コザにさ、50メートルプールがあったわけ。そのプールで「コザスイミングクラブ」っていうのがあったの。みんな知ってるわけさ。そこで服部先生っていう人がいて、その先生が夕方からプールに来て、無料でみんなに水泳教えてくれた。ボランティアなの。

 100人以上の人がここに入って、その中からだんだん淘汰(とうた)されてから、大会に出て、結局残ったわけ。その中から国体選手、若夏国体っていうのがあって、沖縄で初めて国体が開かれるってことで、そこに向けてさ、私たち強化選手だったわけ。だから、もう選ばれたらちゃんと一人一人予算が下りて、おいしいのも食べられたしさ、だから全部無料で。内地行くのも全部無料で。それからバス賃とか、コザから...