心のお陽さま 安田菜津紀](6)

地中から撤去し、安全化した地雷を自宅で見せてくれたアリさん。欧米の国々や旧ソ連などが製造元だ

 イラク北部クルド自治区東端に位置するハラブジャ。険しい山々が要塞(ようさい)のように街を囲み、その稜線(りょうせん)の向こうは、隣国イランだ。ここは1980年から約8年にわたり続いたイラン・イラク戦争の最前線の街のひとつだった。

 当時、自治権獲得を試みていたイラク国内のクルド人組織をイラン側が支援し、イラク政府に揺さぶりをかけた。苦境に立たされたサダム・フセイン率いるイラク側は、クルド住民たちの「掃討作戦」に乗り出す。ハラブジャには88年3月16日に化学兵器が投下され、約5千人が亡くなったとされる。

 国境地帯を震撼(しんかん)させたのは化学兵器による攻撃に留まらない。戦火が収まった後、大量の地雷が一帯に残されたのだ。クルド自治政府の地雷対策局が今年4月に発表した統計によると、これまでの地雷被害者は約1万3500人にのぼり、255平方キロの土地がいまだ、地雷の脅威の中にあるという。

 街を見下ろす丘の上に登ると、乾ききった大地に二つの墓石が並んでいた。「ひとつは、地雷除去活動に携わって亡くなった息子のものです。わずか17歳でした。その隣に、私が地雷で失った両足を埋めました」と、ホシャール・アリさんは声を震わせた。

 アリさんは10代のころ、イラク軍の脅威に抗(あらが)おうと、のちにクルド自治政府の治安部隊となる「ペシュメルガ」に加わり、地雷撤去の技術をイラン側で学んだ。活動中、89年に右足を、94年には左足を失ったが、今なお義足で山に登り、地雷撤去を個人で続けている。

 「地雷は植物のように、水をやって育てる必要もなく、ただ土の中に埋めてしまえば、人を殺す力を備え続けます」と、その非人道性を訴える。「ウクライナでも地雷の問題に直面していると聞きます。私の足が何の問題もなければ、すぐにでも現地に向かいたい」と心を痛める。

 一度戦争が始まってしまえば、そこに生きる人々が「戦後」を迎えるまでに途方もない時間がかかる。だからこそ、そうした惨禍を繰り返さないための知恵を持ち寄り続ける必要があるはずだ。

(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)