多くのサーファーが波を求めて押し寄せる沖縄県糸満市の米須海岸は、通称「スーサイド(Suicide)」と呼ばれる県内有数の人気サーフィンスポットだ。英語で自殺を意味する言葉で、沖縄戦当時、米軍に追い詰められた人々が近隣の崖から身を投げたことに由来し、米兵が名付けたといわれている。地元住民は「名前を変えてほしい」と言い、サーファーは悩みながらも地名を使い続けている。

■県内有数の人気スポット

「スーサイド」と呼ばれる県内有数のサーフィンスポット=18日、糸満市米須海岸(又吉健次撮影)

 「スーサイド」は米須の魂魄(こんぱく)の塔周辺から下りていった海岸を指す。崖を意味する単語「クリフ」を加えて呼ばれることも。波乗りポイントまでの近さから夏場には数百人が集まる。

 沖縄でのサーフィンは、米国がベトナム戦争に本格的に介入した1960年代に米兵が始めたとみられている。そのため県内のサーフィンスポットに英語名が付いていることも少なくない。

■心に引っかかるもの

米須海岸の地図

 県内では草分け的存在の島澤喜芳さん(69)=南城市=が74年ごろにサーフィンを始めた時、米須海岸は既に「スーサイド」と呼ばれていた。嘉手納基地勤務の米国人が摩文仁の崖を指さして「(自死者が飛び降りた場所は)あの丘か」と質問された記憶があるという。

 英語の意味を知っていた島澤さんは「心に引っかかるものがあった。沖縄戦当時、命を懸けて歩いていた海岸で、ぼくらは遊んでいいのかと思うこともあった」と振り返る。

 「シーサイド」と聞き間違えるサーファーもいれば、「サーフィンに夢中で意味を考えたことはなかった」と話す男性(64)もいる。

■サーフィン大会で黙とう

サーフィンの糸満市長杯の競技前、沖縄戦の戦没者に黙とうをささげる参加者=2004年、糸満市の米須海岸(浦崎暁さん提供)

 糸満市の米須海岸にある県内有数の人気サーフィンスポット「スーサイド」では、糸満市長杯サーフィンコンテストも行われている。2002年に第1回が開催される時、波乗りのポイント名について「公的な大会の会場名としてどうか」「名前を変えると沖縄であった歴史が忘れられてしまうのでは」とサーファーらで議論になった。

 定着した地名ということで名称変更の話は消えたが、戦没者に哀悼の意を示そうと大会前に黙とうをささげることになった。

 サーファーの間では有名なスポット名でも、地元・米須で知る人はほぼいない。米須自治会の神村進会長(67)は「地域でそう呼ぶ人はいない。いい印象はしない」と戸惑う。

 魂魄(こんぱく)の塔で花売りをしていた同区の大屋初子さん(86)は、サーファーとの交流で知っていたが意味までは分からず「いい名前だと思っていたけど気持ち悪いね」と驚く。戦時中は近隣のガマや門中墓に避難し妹を失った。「名前は変えないと駄目だよ」と話す。

■歴史を考えるきっかけに

「スーサイド」と呼ばれる糸満市米須海岸。岩場は高さ2~4メートルほどしかない

 スーサイド周辺の岩場は高さ2~4メートルほどで人が投身する場所には見えないと区民らは口をそろえる。

 県公文書館は「スーサイドクリフ」の説明文が付いた1950~67年撮影の米軍の写真を保管している。摩文仁の沖縄師範健児之塔、島守の塔、各県慰霊塔を撮影したものなどがある。

 沖縄戦研究者で元沖縄国際大教授の吉浜忍さんは、少なくとも八重瀬町の慶座絶壁(ギーザバンタ)は、米兵たちからスーサイドといわれていたという記録がある、と話す。日本兵や日本人が「天皇陛下万歳」と叫んで身を投げたサイパンの「バンザイクリフ」を知っている米兵が、その後上陸した喜屋武岬やギーザバンタをそう呼んだのではないか、と推測する。

 糸満市長杯を裏方で支えてきた市議の浦崎暁さん(55)は「なぜこんな名前が付いたのかサーファーは意識してほしい。地名は残っていくものなので、沖縄戦の記憶が風化しても歴史を考えるきっかけになることもあるだろう」と話した。

(南部報道部・又吉健次、社会部・棚橋咲月)