沖縄戦の犠牲者らを追悼する沖縄県糸満市摩文仁の「平和の礎」に、昨年病気で亡くなった与那原町の知念尚子さん(89)の夫、善達さん(享年92歳)の名前が追加刻銘された。善達さんは1945年8月9日、長崎県で働いていて、原爆投下後の爆心地を目の当たりにした。県原爆被爆者協議会から追加刻銘の連絡があり、申請していた。今年の慰霊の日は、戦争で亡くなった父と、夫の名前を指でなぞり、平和を祈る。

「あの時代は本当に大変だった」と沖縄戦時や戦後を振り返る知念尚子さん=8日、与那原町

 知念さんは沖縄戦の時、12歳だった。父は日本軍の飛行場を造るために召集され、帰ってこなかった。残された母ときょうだい4人の計5人と、おじさん家族5人で日本軍のトラックに乗り、当時住んでいた与那原から金武に避難した。

 金武の鍾乳洞に隠れていたが、米軍上陸後、鍾乳洞を出て南部に戻ることに。その途中、具志川の栄野比で米兵に止められ、捕虜になった。それからは旧美里村桃原や玉城船越など居場所を転々とした。

 沖縄戦中は避難を強いられ、戦後も食糧の確保に苦労し、父がいない中で生活してきた人生を振り返る知念さん。「よくあの時代を越えて、しのいできたねえと思うよ」。父がいた飛行場に弁当を届けに行ったのが、小さい頃の思い出だ。

 慰霊の日の頃には、長年、夫婦で礎に訪れていた。戦争で亡くなった善達さんの兄の名前も刻まれている。

 知念さんは「あの時代は本当に大変だった」と戦中戦後を振り返り、平和を願った。

(社会部・當銘悠)