[沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年]第2部▽34 語り手 母(87)(下) 聞き手 大城譲司さん(54)※前編から続き

 -「沖縄の生活史」参加者全員に聞く共通の質問があるんだけど。いい? 復帰の日(1972年5月15日)は何をしていましたか?

 全然覚えてない。それどころじゃなかったさ。復帰の年は、お父さんも自分の会社を立ち上げる時期だし。(復帰で)カルテックスが(沖縄から)引き揚げてしまうから、業務の引き継ぎして、そういう会社つくらんといかん、っていうことで、せわしなかった。

 私は私で、子どもはもう3人いるし、それに、ちょうどH(次男)が生まれるしで、もう、それこそ、てんやわんやの大忙し。Hが生まれて、すぐ働きに出ないと、っていうふうなことで。

■復帰したものの

 (那覇市)樋川の家も結構、大所帯だったね。おばあちゃん、お父さん、お父さんの弟2人、要するに、あんたたちの叔父さん2人が一緒にいた時期もあったし。小さい子どもも育てながら。お父さんが会社つくるといっても、この先どうなるか全然分からないし、家は家で、そういう家庭の事情もあって、私も働かないと、と思って。

 お父さんがいたら、いろいろ覚えてたかもしれないけど。お父さんも株式会社立ち上げるって言って。ずっと横文字書いていた人だから、漢字、ど忘れしていたね。「(この文字は)どんなだった?」って聞くわけ。一応、教えはするけど、でも、不確かなまま(書類を)書かれても困るし。「辞書買ってよ」って言った覚えがある。こんな大きな英語の辞書は持ってたけど、国語辞典はたぶん、その時買ったはずよ。

 復帰の時、よく年寄りが口にしていたのが、「戦世ん終わてぃ、アメリカ世なてぃ。アメリカ世から、大和世」って。そういうふうに話していた。歳いった人たちが、そんな話していたのは忘れられないけどね。

 だから、まあ、復帰はしたものの、その頃の印象というのは、正直、一日一日が何をしてるか分からないような、そんな状態だったから。で、もう、これは働かざるを得ない、となって。

 -ちょっと整理していい? Hが生まれたのが、71年11月でしょ? その1カ月後から保険会社?

 12月から研修して。研修は2カ月。正式に入社したのは72年2月1日。だから、復帰当日は5月でしょ? 入社して3カ月くらい。だから、その時期は仕事覚えるのに精いっぱい。お父さんの会社も72年の5月に設立だったわけ。もちろん、復帰するから会社をつくることになったわけだけど。

■石の上にも三年

 まあ、ばあちゃん(語り手の母)が、ちょうどね、定年で。厚生園は62歳で定年だったから、ちょうどタイミング良くね、Hを見てもらって。だから、生まれて1カ月後に保険会社の研修受けて。それからはもう、本格的に保険の勉強っていうか。勉強よ、日々。

 金融関係といえども(以前勤めていた銀行とは)てんで違うから。全然違う。保険っていうのは、目に見えないものを納得してもらわないといけない。(銀行のように)現金扱うのはね、それは目に見えるけど、保険っていうのは目に見えないから。ちゃんと説明して、相手の家計とか家族構成とか、いろんなこと考えながらやらんといけない。逆に、銀行業務は簡単だなあっていうふうにも思ったし、銀行にいたから良かったなあとも思うし。

 -前にさ、保険会社はたまたま紹介されたって言ってたよね?

 そう。ほんとにたまたま。子ども生まれたからって、保険勧めてくれた知り合いがいて。この人は、私を誘ったのはいいけど、本人は持たなかった。まあ、何て言うかねえ、(お金が)入ったら入ったで、使うっていうの? 浪費癖があって。人間は、自分の身の丈に合ったようなことをしていかないと。身の丈以上のことを、できるんであればいいけど、できないものを背伸びしてやろうとするから、転んでしまうわけ。...