1959年に石川市(現・沖縄県うるま市)の宮森小学校と周辺住宅地に米軍戦闘機が墜落した6月30日を前に、前原高校で22日、事故を学ぶ平和集会が開かれ、全校生徒約900人が参加した。「石川・宮森630会」の久高政治会長が事故の様子や時代背景、その後の聞き取り調査で分かったことなどを語った。(中部報道部・仲村時宇ラ)

ジェット機墜落事故について語る「石川・宮森630会」の久高政治会長=22日、うるま市の前原高校

 嘉手納基地を飛び立った戦闘機に火災が発生し、パイロットが脱出して無人となった機体が住宅地と小学校に墜落したと説明。焼け焦げた住宅や、子どもの血痕が残る教室の写真などを見せながら「教室から火だるまになった子どもたちが飛び出してきて、炎の中からは女の子の叫び声も聞こえた。でも、どうしようもなかったそうです」と証言を伝えた。

 事故で負ったやけどの後遺症で、約15年後に亡くなった新垣晃さん(享年23)の半生も紹介。やけどの痕でいじめられることもあったが、進学した石川高校や琉球大学で陸上選手として活躍した。

 一方で医師からは激しい運動を避けるように言われており、体調が悪化して大学在籍中に亡くなってしまったと話した。

 久高会長は「遺族や体験者は事故を早く忘れ、悲しみや苦しみから解放されたいと思っている。しかし63年たった今でも6月が来ると動悸(どうき)が激しくなり、終わった気がしない」と語った。生徒たちには「話を聞いた皆さんは、この事故があったということを忘れないでほしい」と呼びかけた。

 講話を聞いた3年生の安里萌生さん(17)は「遺族や体験した人が今も苦しんでいることを知り、このような事故は絶対に繰り返してはいけないと感じた。まだまだ知らないこともたくさんある。自分たちの世代が理解を深め、下の世代にも伝えていくことが必要だと思う」と話した。