沖縄戦体験者のいない沖縄を想像するのは難しい。そうなったとき、沖縄の社会は何がどう変わるのだろうか。

 沖縄がこれまで経験したことのない時代が確実に迫りつつある。

 1945(昭和20)年以前に生まれた戦前世代の人口が、年末までに県内総人口の1割を切ると予想されることが、南西地域産業活性化センターの分析で分かった。

 2020年の国勢調査を基に、「コーホート要因法」と呼ばれる手法で推計した。

 戦前世代の人口は年末までに14万1千人となり、総人口に占める割合は9・6%まで落ち込む見通しだ。

 住民による沖縄戦体験の語りは、凄惨(せいさん)な地上戦の実態や多岐にわたる戦争被害を生々しく浮かび上がらせてきた。

 県史や市町村史の戦時体験記録に掲載されている分だけでも、住民の証言は膨大な量に上る。

 ひめゆり平和祈念資料館にはいつも生存者がいて、リアルな戦場体験を聞くことができた。

 戦場に動員された学徒隊の証言を聞くことと、ガマに入り暗闇を追体験することは、平和学習の柱になっていた。

 記憶の継承を巡る活動の現場はここにきて、大きく変わりつつある。

 ひめゆり平和祈念資料館は昨年4月、展示内容を一新した。リニューアルのテーマは「戦争からさらに遠くなった世代へ」。

 戦後生まれの館長の下で非体験者の職員が、平和への思いをつなぐ。

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 「ヒト」(体験者)から「モノ」(戦跡)への転換を強く印象付けたのは、1990年、南風原町が全国でも初めて、沖縄陸軍病院南風原壕群を町の文化財に指定した時である。

 ただ、「モノ」は「ヒト」が働きかけなければ、何も語ってくれない。平和ミュージアムの専門家養成、戦跡ボランティアの人材育成は急務である。

 県平和祈念資料館も、ひめゆり資料館も、入館者は長期的に減少傾向にある。

 県内の児童生徒への働きかけ、本土からの修学旅行に加え、沖縄戦を理解することがどのような普遍的な意味をもっているか、それを改めて全国に伝えていく努力が求められる。

 戦争の記憶の継承は記憶の忘却を伴うことが多い。「被害者意識はあっても、他国に何をしたのかを知ろうとしない」との戦史研究家の保阪正康氏の指摘に耳を傾けたい。

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 本紙は今から57年前の慰霊の日の社説で、こう指摘している。

 「戦争の傷痕が完全に消え去ったとはいえないのに、新たな戦争への不安は二重の影となってわたくしたちの念頭を離れない」(65年6月23日付)。

 まるで現在のことを取り上げているような内容だ。

 沖縄戦の記憶の継承に取り組まなければならない理由が、ここにある。

 二度と再び戦争の惨禍が起きないようにすること。それが戦争体験を継承する最大の理由である。