[沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年]第2部(40) 語り手 従姉・ちよみさん(75)(下) 聞き手 しょうこさん(54)※前編から続き

 -結婚はその頃?

 そう、たばこ会社に入って何年目かな。娘が産まれたのが(昭和)47年だから、45年、24歳の時に結婚した。そして豊見城団地に住んで。そう、お母さん(聞き手の母、語り手の叔母)なんかが最初にA棟にいたから。B棟ができるっていうから申し込んで引っ越してきたわけ。

 -またうちの母親が絡んでる。

 そうそう絡んでるのよ。聞く? 娘が産まれた時、お母さん何回か浴びせに来たりして、ご飯も作ってくれて助けてもらった。いつも目印に旗を立てて、ベランダに。そしたらお母さんのA棟から見えるから。離れてるから、あんなして道歩いてきたら大変でしょ。うちはB棟の一番端っこだったから、あんたたちの所から見える。道も全部見える。

 -旗って、どんな旗?

 ハンカチさ。で、こんなして出してたら「おうちにいますよー」「あー、おうちにいるんだ」ってなって、差し入れしてもらってた。助かったよ。しょうこちゃんもあそこにいたから、娘が産まれる前はしょっちゅう連れて歩いていたと思う。Aちゃん(聞き手の弟)が産まれて、お母さん忙しいから、わたしなんかが、しょうこちゃんを遊びに連れ回していたわけよ。覚えてる?

 -保育園の帰りにそのままB棟に行ったのとか、どっか知らない所に連れて行かれて、キスチョコとかいっぱいもらった記憶はある。あの頃、復帰したんだよね。復帰の日、何してた?

■役所に交換に

 復帰の日ね、復帰の日は…、普通に過ごして、とりあえず道の変更? 右と左の車の。

 -それは、ななさんまる(730)じゃなくて? 私が小学校3年生ぐらいだったはず。

 そう? 復帰と一緒じゃなかった? とりあえず復帰は、お金の、1ドル=360円で、役所に交換しに行ったっていうのと。大きな袋にお金を持って来てる人とか、すごいってのぞいたりして。タンスのあれ(タンス預金)をしていたんでしょうね。いっぱいためて。自分たちはもうそんなにないから、さっと入れて持って行ったけど、ある人は本当に大きなバッグに入れて持って来てた。すごいって。

 -復帰で暮らしが大きく変わったことってあった?

 そんなにね。あの頃は、ドルの時は普通公務員で月給が60ドル? ドルが円に換わって安くなったのかね、高くなったのかね? 家賃が、とりあえず円になったら1万円ぐらいだったかな。お給料って、うちの人、あの頃7万円ぐらいもらってたのかな。それで私がたばこ会社にいたから、特別措置法で3年間の失業保険がもらえたわけ。すごいでしょ。その時の失業保険があの頃、たばこ会社良かったから6万円ぐらいもらっていたはず。それを3年間しっかりもらいました。

 本土復帰するために(沖縄の)たばこ会社が専売公社に替わったでしょ。それで、その移行の上乗せと失業保険で3年間もらえた。とりあえず退職金もらって辞めますって。結婚して子どもも産まれたから。それをもらって、なんとか両方合わせて生活してた。...