[沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年]第2部(42) 語り手 母(74)(下) 聞き手 山田哲也さん(48)※前編から続き

 (文中の固有名詞の一部は仮名です)

 沖縄戻って来て、ちょっと肝臓悪くしたから、しばらくおうちで静養して、それから給油所にアルバイト3カ月ぐらい。チェッカーって言うの? 給油所で、ほら、何リッター入れたからってお金をもらったりするのあるじゃない? これを3カ月ぐらいやったかな。それから三上(病院)に。1年ぐらい働いた。

■楽しんだ催し物

 -病院は、内地の時と比べてどんな?

 楽しかったよ。精神科は楽しい。もういろんな催し物があるからね。あの、何て言うの、遊んだり、いろんな余興と言うの、こういうので遊んだりするけど。やっぱりほら、荒れるとすごいさ、患者さんは。するとこっちも威圧的に出てくるさね。暴力振るったり。私は暴力振るわないけど、相手が。そして、保護室に入れたり。あれは1年だからいいんであって、あれ、長く勤めたらちょっと大変だはず。楽しかったよ。いろんな催し物があったし。レクリエーションみたいな感じで。『戻り駕籠(かご)』という沖縄の民謡を踊ったり、どんなのがあったかな。結構楽しかったけどね。

 -沖縄帰りたかったの? やっぱり。

 やっぱ帰りたいよ、沖縄に。だって、東京に行くと「ミサちゃん。いいね、沖縄出身って言うんじゃないよ」って言われてたんだよ、瀬長先生の奥さんに。沖縄出身って言うとバカにされるんだと思ったからね、まず最初は沖縄出身って言うなって。そしたら、どこ出身って言えばいいのって。...