今から160年余り前、ペリー探検隊は6日間かけ沖縄各地を歩き、地名を名付け記録した。シマンチュを驚かせた、ウランダー(外国人)たちの奇妙な行動が、恩納村と中城村に伝わる。(編集委員・謝花直美)

「昔はガジュマルが生えていて、2つの岩の間を渡ることができた」。ターチャー岩を背に話す新垣区の安里清市自治会長=中城村新垣

恩納村博物館は、恩納番所を描いた探検隊の絵で、道の歴史を紹介している=同村

「昔はガジュマルが生えていて、2つの岩の間を渡ることができた」。ターチャー岩を背に話す新垣区の安里清市自治会長=中城村新垣 恩納村博物館は、恩納番所を描いた探検隊の絵で、道の歴史を紹介している=同村

 行程第4日、1853年6月2日。探検隊は、金武間切を出発、漢那から西海岸へと横断し、名嘉真に入った。山越えで疲れ果てた一行が泊まったのが恩納間切の番所(役所)だ。

 艦隊の公式記録である『沖縄訪問記』(外間政章訳)は、恩納間切を、繁栄した大きな集落として紹介する。番所や美しい風景など、探検隊は疲れを癒やすのにぴったりの場所と考えたようだ。

 恩納のしまくとぅばには「シタンバイ」という不思議な語がある。名嘉真公民館の仲嶺真武区長(67)は「中学生の頃、大人たちがサトウキビの刈り取り作業中、休憩を切り上げる時に『ハイ、シタンバイ』と言った」と振り返る。「あのころは、方言か何語か分からず使っていた」

 「シタンバイ」は英語の「STAND BY(待機する)」に発音と意味が似る。仲嶺区長は「この言葉を使ったのは当時50代より上の大人たちだ」と話す。戦後の軍作業の影響も考えられるが、「何語」か分からず使っていたことからすると、古くから伝わる言葉とみるのが自然だ。

 同村の歴史に詳しい同村元収入役の當眞嗣長さん(86)。「ペリー探検隊の一行が荷物を運ぶ中国人に、出発に備えて『スタンバイ』と言った。見物していた人々が伝えた、と聞いた」と解説する。

 「シタンバイ」という語も、今はすっかり使われなくなった。集落には探検隊が足を休めたと伝えられた「ウマヌクラー」という石もあった。仲嶺区長は「二つとも知っているのは私たち世代が最後」と残念そうに話す。

 探検隊が行程2日目の5月31日に通過した中城村新垣。ここでは「松林から高くそびえる不思議な岩」によじ登った。東西が見渡せる絶景に、岩に米国旗を立て礼砲を発射し、「旗岩(バナーロック)」と命名した。「沖縄訪問記」は、あっけにとられた地元の人々の姿を記録する。

 岩は、地元で「ターチャーイシ(二つ岩)」として知られてきた。2015年国指定史跡となった中城ハンタ道の途上にある。

 新垣区の安里清市自治会長(65)は「集落からは遠く、年に何度か遊びに行く場所。岩に上ると見晴らしが良かった」と振り返る。

 石工が多い新垣は集落内の道も石で整備していた。他とは違う村の風景に、探検隊は魅了されたのだろうか。安里会長は「集落奥にあるターチャーイシまで入ってきたのは好奇心旺盛だね」と笑った。