右端は1935年の沖縄取材に訪れた大阪朝日新聞社会部の守山義雄記者。同僚の藤本護カメラマンは撮影者のためか、写っていない。残る3人は左から取材をコーディネートしたとみられる同社那覇通信部で初代主任を務めた豊平良顕さん(1948年の沖縄タイムス社創業メンバーの一人)、糸満尋常高等小学校に勤めていた安仁屋政栄さん、玉城瑩さん。豊平さんは同年4月20~24日に沖縄を訪れた同社の下村海南副社長(1945年に鈴木貫太郎内閣の国務相兼情報局総裁に就任)と飯島曼史論説委員も案内している。玉城さんは後の旧糸満町長。撮影地は糸満市糸満の前端区辺りにあった漁港、新島浜(みいじまばま)とみられ、左後方にハーレーに使われた塗装があるサバニが見える(写真は朝日新聞社提供)
右端は1935年の沖縄取材に訪れた大阪朝日新聞社会部の守山義雄記者。同僚の藤本護カメラマンは撮影者のためか、写っていない。残る3人は左から取材をコーディネートしたとみられる同社那覇通信部で初代主任を務めた豊平良顕さん(1948年の沖縄タイムス社創業メンバーの一人)、糸満尋常高等小学校に勤めていた安仁屋政栄さん、玉城瑩さん。豊平さんは同年4月20~24日に沖縄を訪れた同社の下村海南副社長(1945年に鈴木貫太郎内閣の国務相兼情報局総裁に就任)と飯島曼史論説委員も案内している。玉城さんは後の旧糸満町長。撮影地は糸満市糸満の前端区辺りにあった漁港、新島浜(みいじまばま)とみられ、左後方にハーレーに使われた塗装があるサバニが見える(写真は朝日新聞社提供)
右端は1935年の沖縄取材に訪れた大阪朝日新聞社会部の守山義雄記者。同僚の藤本護カメラマンは撮影者のためか、写っていない。残る3人は左から取材をコーディネートしたとみられる同社那覇通信部で初代主任を務めた豊平良顕さん(1948年の沖縄タイムス社創業メンバーの一人)、糸満尋常高等小学校に勤めていた安仁屋政栄さん、玉城瑩さん。豊平さんは同年4月20~24日に沖縄を訪れた同社の下村海南副社長(1945年に鈴木貫太郎内閣の国務相兼情報局総裁に就任)と飯島曼史論説委員も案内している。玉城さんは後の旧糸満町長。撮影地は糸満市糸満の前端区辺りにあった漁港、新島浜(みいじまばま)とみられ、左後方にハーレーに使われた塗装があるサバニが見える(写真は朝日新聞社提供) 写真の安仁屋政栄さんを見て「父だ。目は年を取った後と同じ」と懐かしむ次男、扶さん(72)=那覇市首里石嶺町=が「写真の背景は、ここに描かれているのと同じ場所ではないか。米軍からもらったパラシュート生地に絵の具で描いている」と語る、政栄さんの遺作。長い歳月を経て、生地にしわは寄っているものの、帆を張ったサバニが港に入る光景が優しい色合いで残っている。扶さんは「糸満にゆかりの深い場所で多くの人に見てもらいたい」と話した。
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