8月6日に広島、9日に長崎へ原爆が投下されて75年。県内では被爆者健康手帳の保持者が3月末現在118人となり、証言できる人は減少の一途にある。記憶の継承が課題となる中、それぞれで被爆した「沖縄の被爆者」は戦後をどう生き、今何を思うのか。被爆体験と苦悩の歴史を紡ぐ。

悲憤の記憶
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兄を捜しに長崎へ ずっと悩まされていた体の異変 被爆を知らずに生き抜く 2020年8月10日 11:06有料
[原爆忌75年 悲憤の記憶 沖縄の被爆者たち](6) 広島や長崎で被爆し、帰郷した沖縄の被爆者たち…
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「堕ろさなければ」と何度も後悔 苦悩し娘にも言えなかった過去の記憶 2020年8月8日 14:05有料
[原爆忌75年 悲憤の記憶 沖縄の被爆者たち](4) 沖縄県浦添市の大城智子さん(79)は、93歳…
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「原爆のことは忘れたい」 思い出さないように生きてきた悲惨な光景 2020年8月7日 14:26有料
[原爆忌75年 悲憤の記憶 沖縄の被爆者たち](3)青山スミさん(86) 浦添市 東京生まれの青山…
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「焦げたご飯みたいに」腫れた皮膚、体中に刺さったガラス片 被爆の惨状、60年語れず 2020年8月6日 16:30有料
[原爆忌75年 悲憤の記憶 沖縄の被爆者たち](2) 雛世志子さん(88) 沖縄市 市街地は「火の…
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「お母ちゃん返事して」全身やけどで母を探す子 胸にしまい込んだ光景 兄を訪ねた広島で被爆 2020年8月5日 08:10
[原爆忌75年 悲憤の記憶 沖縄の被爆者たち](1)新垣和子さん(91) 爆心地から約1・5キロ…