軍民混在となり、20万人以上が命を落とした沖縄戦から75年。米軍上陸前の1945年3月23日から、沖縄諸島は激しい空襲や艦砲射撃に見舞われた。迫る惨禍を生きた人々の体験を追う。

迫る惨禍 戦後75年「あの日私は」
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【戦後75年あの日私は】「城が燃えている」海辺の古里、空襲で炎上 焼け残ったフクギ並木「一番忘れられない残り物」 2020年3月30日 07:00有料
[迫る惨禍 戦後75年「あの日私は」](4)具志堅誓謹さん(87)=名護市 商業施設や飲食店が並ぶ…
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【戦後75年あの日私は】家族7人「自決」も覚悟 山中を逃げ惑い「あの時は、みんな哀れさ」 2020年3月29日 11:00有料
[迫る惨禍 戦後75年「あの日私は」](3)田原豊子さん(92)=渡嘉敷村 木々の間から見える上空…
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【戦後75年あの日私は】砲弾の雨、学校焼く 避難の山から戻りマラリアに「布団何枚かけても震えた」 2020年3月24日 18:00有料
1945年3月末。当時13歳だった宮城長清さん(88)は、大宜味村大宜味の集落を眼下に望む小高い山…
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【戦後75年あの日私は】「今見ると恐ろしい高さだ」米機襲来、妹の手を取り崖を飛び降りた 2020年3月23日 11:33
[迫る惨禍 戦後75年「あの日私は」](1)徳浜弘さん(85)=八重瀬町(旧具志頭村) 「ブーーー…