
戦後の沖縄 生活の場に基地が迫ってきた
米軍嘉手納基地付近の住宅で、アイロンがけをする女性。縁側に立つ子どもの奥には飛行機が見える=1957年10月

米軍統治下だが日本の文物は流通していた
那覇中央市場の書店で、本土の少年・少女雑誌を立ち読みする子どもたち=那覇市、1957年10月

先祖伝来の農地 基地にのまれても
米軍が嘉手納基地として接収した土地の中にある農地。米軍は一部の農家に使用を認め「黙認耕作地」と呼ばれた=1971年6月

フェンスの向こうに広がる別世界
金網で囲われた米軍基地内にある小学校の児童たち=宜野湾市真志喜のマーシー小学校、1968年4月

米軍統治下でインフラ整備は進まなかった
久米島の離島、奥武島の子どもたちは毎朝約1キロ、竹馬で海を渡って通学した=仲里村(現久米島町)、1966年1月6日

本土と変わらぬ光景 切り離されていても
新年を迎え、晴れ着姿で国際通りに遊びにきた子どもたち。デパートの向かい側で信号待ちしている=那覇市、1972年1月1日

ついに迎えた復帰 子どもに訪れた変化
沖縄で初めてのスクールゾーンは大道小学校周辺に設置された。児童が旗を振って歩く=那覇市、1972年9月22日

鉄道がなかった沖縄にD51がやってきた
復帰後、国鉄職員有志の善意で沖縄に贈られたD51。子どもたちは初めて見るSLに目を輝かせた=那覇市、1973年3月

復帰とともに生まれた地元の人気スポット
復帰記念事業で開園した動物園、沖縄こどもの国。遠足の小学生らでにぎわった=コザ市(現沖縄市)、1972年5月2日

沖縄の警察官が装備していなかったもの
沖縄の警察官が短銃を携帯し始めたのは復帰後のことだった。導入には賛否両論があった=那覇警察署、1976年6月22日

ドルから円へ 復帰を象徴する変化
ドルから円への通貨交換は復帰の当日に始まった。市民は銀行へ足を運んだ=那覇市の琉球銀行松尾支店、1972年5月15日

通貨切り替えが引き起こした物価上昇
那覇市の食堂の価格表。復帰を前に5~10セント値上げした。トンカツ50セントに対しAランチ1・5ドル=1972年1月

1ドル何円か 市民に広がった不安
通貨切り替えに乗じた商戦。円の受取額が下がることが懸念されていた=那覇市のサンエー那覇店、1972年5月8日
沖縄のくらしはいま



基地に隣接する繁華街にあった通学風景
米兵向けの飲食店が並ぶセンター通り(現中央パークアベニュー)を歩くコザ小学校の児童=コザ市(現沖縄市)、1972年5月

夜は基地の米兵たちであふれていた
米兵の乱闘が続き、米軍憲兵隊や地元の警察官が巡回した=コザ市(現沖縄市)、1972年5月

米兵向けの商売は変化を余儀なくされた
米軍関係者向けだった飲食店は復帰を控え、看板の文字を日本語に書き換えていた=コザ市(現沖縄市)、1972年5月12日

復帰とともに県外との往来が盛んになった
先祖が琉球王家に仕えた川平家。前列左は慈英さん、同3番目はジョン・カビラさん。復帰後は東京へ移住=那覇市、1972年

分断の象徴だったパスポート
本土との行き来に必要だったパスポート。復帰後、沖縄出身者たちは分断の象徴を焼いた=兵庫県尼崎市、1972年5月21日

右側通行→左側通行 復帰6年後に実現
「車は左、人は右」への交通変更を前に、カバーを被った標識がずらり。7月30日の実施を待った=那覇市、1978年4月

国家行事とともに観光地のイメージが形成
復帰を記念して開かれた沖縄国際海洋博覧会。未来の海上都市をイメージした「アクアポリス」(奥)=本部町、1975年7月

インフラ整備は現在進行形で進む
満員のゆいレールの始発便が首里駅を出発した。平和や豊年を呼ぶ神「ミルク」が見守った=那覇市、2003年8月10日
戦後の日本と沖縄をめぐるできごと
日本全体
沖縄
広島・長崎に原爆投下
ポツダム宣言受諾
戦後初の衆院選
日本国憲法公布
極東国際軍事裁判でA級戦犯25人に有罪判決
米軍が沖縄上陸、県民の4人に1人が犠牲に
朝鮮戦争始まる
特需景気
サンフランシスコ講和条約発効
自衛隊発足
沖縄が日本から切り離される「屈辱の日」
「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる米軍の強制土地接収始まり、反対運動「島ぐるみ闘争」へ
保守合同で自民党誕生、「55年体制」始まる
経済白書「もはや戦後ではない」
このころテレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」として普及
東京タワー開業
石川市(現うるま市)の6歳少女が米兵に暴行されて殺害される
本土への集団就職はじまる
首里高校が沖縄代表として戦後初めて甲子園に出場
皇太子(現上皇)ご夫妻が結婚
国会前の安保闘争で樺美智子さん死亡
東海道新幹線開業
東京五輪
石川市(現うるま市)の宮森小に米軍機墜落、児童ら17人死亡、負傷者200人超
沖縄県祖国復帰協議会結成
このころ米国がベトナム戦争に本格介入
3億円事件
東大安田講堂事件
読谷村で小学5年女子がパラシュートで投下された米軍トレーラーの下敷きになり死亡
大城立裕「カクテル・パーティー」が沖縄初の芥川賞
初の公選主席選挙で屋良朝苗氏当選
日米首脳会談(佐藤・ニクソン)で沖縄返還に合意
大阪万博
札幌冬季五輪
あさま山荘事件
日中国交正常化
第1次オイルショック
復帰を前にした国政参加選挙で衆参議員7人選出
コザ市(現沖縄市)で群衆が米軍車両を焼くコザ暴動/コザ騒動と呼ばれる事件
沖縄こどもの国開園
沖縄返還協定調印
施政権が日本に返還
通貨がドルから円に
ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕
王貞治選手が通算本塁打世界記録
沖縄国際海洋博覧会
警察官の短銃携帯実施
自動車が右側通行から左側通行に
自動車が右側通行から左側通行に
東京ディズニーランド開業
グリコ・森永事件
具志堅用高選手がボクシング世界王座13回連続防衛
日航機墜落事故
昭和天皇逝去、平成に改元
このころバブル経済崩壊
沖縄海邦国体
首里城正殿を復元
阪神・淡路大震災
地下鉄サリン事件
「平和の礎(いしじ)」完成
女子小学生が米兵3人に暴行される
基地整理縮小や地位協定見直し求める県民総決起大会
日米が県内移設条件つきで普天間飛行場の返還合意
選抜高校野球で沖縄尚学が初優勝
沖縄サミット
米同時多発テロ
サッカー日韓W杯
NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」放送
沖縄美ら海水族館開業
モノレール「ゆいレール」開業
沖縄国際大に米軍ヘリ墜落
JR福知山線脱線事故
リーマン・ショック
民主党政権誕生
東日本大震災
東京スカイツリー開業
鳩山由紀夫首相が普天間飛行場の県外移設断念
興南高校が甲子園春夏連覇
オスプレイが普天間飛行場に配備
仲井真弘多知事が辺野古埋め立て承認
安全保障関連法成立
令和改元
翁長雄志知事が辺野古埋め立て承認取り消し
うるま市で米軍属による女性殺害事件
翁長知事死去、玉城デニー氏が知事に
政府が辺野古に土砂投入開始
県民投票で72.15%が辺野古埋め立てに反対
首里城正殿など焼失
新型コロナウイルスが流行
東京五輪
沖縄の日本復帰から50年

