大田昌秀

「大田昌秀」一覧

大田昌秀氏は、第4代沖縄県知事(1990年~1998年)。新聞・報道研究や沖縄戦の歴史研究に取り組むメディア社会学者で琉球大学教授を退職後、革新共闘会議から推薦を受けて、「沖縄保守政界のドン」と呼ばれた現職の西銘順治氏に挑み、12年ぶりに革新県政を取り戻した。息子を衆院選に出馬させたことで「政治の私物化」などの批判が上がり、保守陣営に亀裂が生じた西銘氏に対し、大田氏は変革への期待を集めた。基地問題を巡っては、1995年9月28日、米軍基地としての用地提供を拒んだ未契約地主に代わり、県知事が行う代理署名を拒否すると表明。強制使用手続きに行き詰まった政府と最高裁まで争った。背景には、1995年9月4日に発生した米兵による少女暴行事件や、容疑者である米兵の身柄を起訴前に引き渡すことができない日米地位協定の取り決めなど、人命・生活を脅かす基地被害や政府の基地政策に対する憤りがあった。1996年1月には、米軍基地を2015年度までに段階的に全面返還させる「基地返還アクションプログラム(素案)」、同11月には一国二制度的な規制緩和を盛り込み、返還跡地に沖縄の産業基盤を整える「国際都市形成構想」を取りまとめた。沖縄戦では、少年兵組織「鉄血勤皇隊」に動員された。反戦平和への意識は高く、1995年6月、糸満市摩文仁に「平和の礎」を建立し、平和行政を推進した。知事退任後は参院議員1期。那覇市に開設した沖縄国際平和研究所で理事長を務め、沖縄戦関連の文献や写真などの資料を所蔵・公開した。2017年6月に肺炎・呼吸不全で92歳で死去、県民葬が執り行われた。1925年、久米島町生まれ。


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