戦後75年
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家族を失い諦めた恋と大学進学 夜間大学に通いながら公認会計士となった男性がつづった「どう生きていくべきか」 2021年1月1日 10:16有料
[戦後75年] 南洋群島テニアン島引き揚げ者の一人で公認会計士の安里清榮さん(79)が12月、著作…
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75年前の戦争被害「私たちには時間がない」 民間人補償する救済立法 4団体が要望 2020年8月13日 14:30有料
【東京】沖縄戦や南洋戦の民間人被害者の救済立法運動を行う「民間戦争被害の補償を実現する県民の会」な…
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【動画あり】首里城下の旧日本軍壕 爆破された最深部の映像 第32軍壕、11年ぶり撮影 2020年8月2日 17:00有料
県政記者クラブは2日までに、1945年の沖縄戦を指揮するため首里城地下に造られた旧日本軍第32軍司…
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[戦後75年]「司令官室 状態いい」琉球大学の教授ら32軍壕公開の可能性に言及 2020年8月2日 09:11有料
旧日本軍の第32軍司令部壕を埋めるか保存するかを決める事業で委員を務めた、琉球大学の中村真也教授(…
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生後すぐに別れた父へ「幸子だよ。早く顔を出して」 撃沈された湖南丸慰霊祭 洋上で呼び掛け 2020年7月25日 05:30有料
[戦後75年] 多くの県民の命を奪い、文化や自然を破壊した沖縄戦から75年。戦争体験者が減っていく…
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テニアン島に米軍上陸 家族で死を覚悟した76年前 生還者の思いは 2020年7月24日 15:30有料
1944年、米軍が住民を巻き込む激しい地上戦を繰り広げながらサイパン島を占領、テニアン島に上陸して…
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「沖縄全滅」台湾で泣いた 敗戦に安ど「これで殴られなくてすむ」 2020年7月18日 16:00有料
[戦世生きて くらしの記録](42)南城市出身 宮城鷹夫さん(下) 宮城鷹夫さん(97)=南城市=…
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教員の監視逃れ、制服裏返して映画観賞 女学校の運動会にも夢中、学校の塀よじ登り見る「まるで名画のよう」 2020年7月17日 14:00有料
[戦世生きて くらしの記録](41)南城市出身 宮城鷹夫さん(上) 「朕惟フニ我カ皇祖皇宗-」。講…
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「あんな惨めで、愚かなことはない」 17歳で護郷隊に入隊 重傷の仲間を置き去り、無残な戦 2020年7月13日 18:04有料
[戦世生きて くらしの記録](40)国頭村出身 宮城清助さん(下) 1945年3月初旬。当時17歳…
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特別な日に食べた甘い菓子 すり込まれた天皇制 僕は天皇陛下のために入隊した 2020年7月11日 14:00有料
[戦世生きて くらしの記録](39)国頭村出身 宮城清助さん(上) 校門を出てすぐの交差点近くは、…
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故郷の島サイパン 父は銃弾に倒れ弟は栄養失調で亡くなった 76年前の戦闘から逃げ惑う日々 今も夢に 2020年7月10日 06:00有料
[戦後75年] 南国の島サイパン。1944年6月、米軍が上陸し、住民を巻き込む激しい地上戦が繰り広…
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もんぺ姿の女性遺体「兵隊さん、何があったんですか?」 味方を殺すとは夢にも思わず恐怖に震えた 2020年7月9日 13:17有料
[戦世生きて くらしの記録](38)豊見城市出身 當銘幸吉さん(下) 本島北部の山を逃げ惑う道中、…
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サイパン戦76年 「心が壊れた」孤児となった苦しみ語れず 父、母、きょうだい…次々に失う 2020年7月7日 07:35有料
住民を巻き込む激しい地上戦が繰り広げられたサイパン島で日本軍の組織的戦闘が終結して7日で76年。6…
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ハブにかまれた少年「棒で殴られたような激痛」 戦火から逃げた山で遭遇した不運 2020年7月3日 10:26有料
「石臼を担ぎ、はだしだった。棒で殴られた痛みを感じた。1週間は熱でうなされたよ」。1944年10月…
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首里城は焼き尽くされ「石の砂漠」に 倒壊した守礼門、幼心で「薪にしたい」 地上戦で消えた古里再建 2020年6月29日 14:00有料
[首里城 象徴になるまで](24)第2部 戦をくぐって 1946年1月。首里山川町の阿波連本昌さん…